さくらももこさんの訃報とりぼん

『大家さんと僕』の大家さんが亡くなられたというニュースを聞いたばかりなのに、

昨日また悲しいお知らせが。。

ちびまる子ちゃんの作者、さくらももこさんが既に15日に亡くなられていたと。。

ちびまる子ちゃんは全16巻で完結しています。

最初記事見たとき、はあ?と思ったのが素直な感想で、

闘病してることも知らなかったし、もう葬儀もすませたということにも驚きました。

享年53才。早すぎます・・

 

さくらももこさん、

もういろんな記事が出てるから、同じようなことを書くつもりありません。

ちょっと普通の漫画家さんに抱く思いと違った感情で見ていたので、

その辺りを書こうと思います。

勝手な思い出話になりますのでしばしお付き合いを。

さくらももこさんのデビュー当時のこと。

さくらももことしてデビューする前の話です。

私はさくらさんと同世代、

さくらさんがデビューした当時は、

もうとっくに少女漫画月刊紙『りぼん』の愛読を卒業してました。

 

卒業していたはずなのに、上京したてでなんとなく寂しかったからか、

ついつい手に取った『りぼん』。

連載を流し読みしながら、漫画賞のページを見るのが好きでした。

確かスクールみたいになってて、ちょこっとだけ漫画家のたまごさんの作品が見られたりして、

未来の大先生を見つけててみたい、と編集者気取りで読んでいました。

何度かさくらももこさん、登場してます。

その度、結構厳しい批評が付いてます。

絵柄が悪いとか、

話の構成がダラダラ日常生活を書き綴るのは、なってないとか、

大まかにいうとそんな感じで、

全否定とは行かないまでも、根本的に考え改めろ、みたいな内容です。

でも、なんだか面白そうって感じた人は多かったはず。

編集部でも、何か引っかかるものがあったんでしょうね。

掲載が続き、ある月に唐突と思えるような形で大賞を受賞しました。

その時の講評がいまでも覚えているのですが、

これを新しい漫画のスタイルと認めますっていう内容で、

りぼん編集部が自らの考えを改めて、

さくらももこさんに全面降伏したようなもので、それも衝撃的。

 

記憶が正しければ、

それまで評価が180度変わってデビューした人は皆無だったはずです。

ほとんどが指摘された欠点を克服して基準を満たしたのでデビューですって流れで。

デビューからあれよあれよと言う間に人気漫画になり、ついにアニメ化。

サザエさんに並ぶ、日本のお茶の間の人気者になりました。

 

今でも、すごい人のデビューの目撃者になった、と思っています。

 

そんなわけで、ものすごいファンではないけれど、

思い入れはかなりある漫画家さんとして、動向が気になっていて、

西城秀樹さんが亡くなった時も、

さくらももこはショックだろうなあとすぐに頭に浮かぶほど。

今頃、天国で秀樹と再会しているのでしょうか、

できることなら、まだまださくらももこの世界をみていたかったけど、、

心より御冥福をお祈りいたします。

 

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追記:あの時期のりぼんだから発掘できたのかも。

今ではよくある漫画エッセイ、

当初りぼん編集部も認めていなかったスタイルで成功したのは、

さくらさんの力量によるのはもちろんですが、

当時の「りぼん」の許容範囲が大きかったから、発掘できたのかもと思うのです。

以前の少女漫画誌は結構幅広いジャンルがごちゃまぜで、

りぼんはその中でも振り幅が大きい雑誌でした。

70年代から読んでいると、

すっごくおしゃれな世界観の北島洋子先生

正統派で、ありえないくらいの夢の世界を描いてくれる一条ゆかり先生、

当時はスポ根ものを描いてて今はレディコミックに転向した井出ちかえ(当時のPN)先生、

学園ものが得意な山本優子先生、

ギャクは強烈な土田よし子先生がいたし

メルヘンチックな陸奥A子先生、太刀掛秀子先生 田淵由美子先生、萩岩睦美先生。

コケテッシュな小椋冬美先生や、おおやちき先生

不思議系の清原なつの先生、水樹和佳先生、

ものすごく精密なビアズリーのような絵を書く、内田善美先生、

バレエ漫画『アラベスク』を山岸涼子先生が最初に発表したのも、りぼんでした。

少女漫画には異色な戦争漫画を書き続けた、巴里夫先生

(自分の中では今でも「火垂るの墓」はジブリではなく、

巴里夫先生の絵が強烈に思い浮かびます。)

お色気なら弓月光先生に、もりたじゅん先生。

戦国ものでドキドキさせてくれた、のがみけい先生。

とらえどころがないけど、なぜか好きだった笈川かおる先生や高橋由香利先生。

思い出すとキリがありません。

70年から80年代のりぼんは、

ジャンルが違う漫画がよくもここまで揃ったなあと思わせる漫画雑誌で、

こういったなんでもあり感が、

さくらももこの『ちびまる子ちゃん』を受け入れて、大きく育てることができたと思うのです。

 

その後、池野恋先生に代表される少しかわいい系の作画が多くなり、

主流となっていきます。

人気の高い矢沢あい先生もテイストが変わってきたためか、活躍する場(雑誌)を変えていきました。

漫画に限らずですが、デビュー時期の時間と、人との巡り合わせというか、

タイミングの妙を感じてしまいます。

 

 

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