平尾誠二氏のこと。その2 多くの人から愛されたミスターラグビー
一冊の本があります。
『友情』山中伸弥 平尾誠二・恵子
山中伸弥教授が、平尾氏との付き合いから、亡くなるまでの闘病生活についても綴った本で、
平尾氏の奥様の手記や、山中教授と平尾氏の対談も収録されてます。
ぜひ一度、この本の表紙を見ていただきたい。
初めて対談した時のショットのようです。
山中先生にとってもヒーローで憧れていた選手、
秘書に断られそうになっていたのを、
必死に止めて実現した対談からの付き合いだったようです。
山中先生の暖かな人柄もさることながら、
やっぱり平尾氏はすごい人だなあと改めて思わせてくれた内容でした。
お二人の関係や、生きる姿勢など、興味があれば是非読んでほしい本です。
意外なことに、今話題の『オプジーボ』を初めて治験で利用した6人の中に入っていて、
残念ながら劇的な改善が見られず、二回で打ち切られてしまったとのこと。
効いてくれてたらなあと思わずにいられません。
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卓越した求心力
もともと、同志社時代くらいから注目していたものの、学生時代はそれほどの思い入れもなく、
神戸製鋼時代くらいからのファンなので、
関東在住にとっては、生で平尾氏が出ている試合を見る機会がありませんでした。
社会人の決勝、もしくは日本選手権、平日に行う試合はいけないし、
ほんの数える程しか見ていませんが、本当に異質でした。
走っているところに道があるのかと思うくらい進んでいく、
思ったところにパスを送りボールを生かし続ける、
どんなに泥だらけになろうと、泥臭い雰囲気にならない。
やっぱり目立つ存在で、神戸製鋼がどんどんバックスの展開を増やすごとに、
それが増したようにも感じていました。
テレビ中継でも、彼をカメラが追っていることが多かったですね。
第一回のW杯開催の前夜にテレビが壊れて、でもどうしても見たくて、
ブラウン管の重〜いテレビを慌てて買いに行き、
友達の手を借りて電車で持ち帰ったのもいい思い出です(笑)。
当時はどちらかというと大学の学生リーグの方に夢中になっていて、
ラグビーマガジンを毎月のように購読して、
いろんな選手やチームの取材記事を読みあさっていました。
神戸製鋼も度々特集が組まれていて、
ある月に、平尾氏が真ん中に立っていて、足元から見上げるようなショットの神戸製鋼チームの円陣集合写真がついた特集記事に目が釘付け。
(最初は惚れ惚れするくらい男前の写真に釘付けでしたが)
内容は、練習時間を縮小した事にフォーカスしたものです。
その時に、ものすごく衝撃を受けたというか、
スポ根マンガ丸出しのようなスポーツに
どこよりも時短練習のシステム導入したものを、それをさらに短くしていいのか?と。
でも、記事を読んでいくと、こういう考え方も悪くないかとも感じ、
それからなんとなくまとめ役、リーダーとしての平尾氏の考え方が気になり始め、
インターネットでググるかのように雑誌や本を読み漁りました。
かなり義理堅くて、
物事を理路整然と考える、かなり頭のいい人でさらに勉強家だとも、
前述の山中先生著の本に対談からも改めて思いましたが、
ずっとそういう方であり続けたようです。
また、初めて日本代表に外国出身の主将を選んだ人でもあります。
それについても賛否はあったけど、強くなるための柔軟な発想ができて、実現できる行動力も持ち合わせていました。
本当に、これまでも、これからの日本のラグビー界にとってもなくてはならない人でした。
前回のW杯で、日本代表が目指す形の一角までたどり着いたのを見届けてくれたのが、せめてもの救いですが、
来年の日本でのW杯、生きて、観て、新たな指針を示して欲しかったです。
試合以外、がむしゃらな様子はなく、冷静でひょうひょうとした感じで、
多分努力も見せないように影でしていたんでしょうか。
最後の言葉が『頑張る』。
頑張り続けて一生を駆け抜けて逝ってしまわれました。
ご冥福をお祈りする、、というよりは、早く生まれ変わって、
また日本ラグビー界を盛り上げる選手として戻ってきてほしいです。
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