御朱印について

月一回、決まったところへのお参りを欠かさないのに、

私は御朱印をもらったことがありません。

友人にも不思議がられますが、あまり興味がないというか、

それをもらうより、月に一回でも足を運ぶ方が大事だと考えてます。

御朱印ってそもそも何なのか?をあまり深く考えずに、

昨今、ブームとなってしまい、

まるで旅行先の観光名所のスタンプ押してもらうような感じで集めている人が増え、手書きで書いている寺社仏閣の関係者の方に『早くしろ』と文句を言う方もいるってびっくりというか罰当たりというか、本末転倒な気がします。

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御朱印とは

本来は写経を納めた際の受付印の役割を果たすものだったので、

れっきとした宗教行為、しかも写経、というからには神社というより寺院発祥なのですよね。でも、昔は神社仏閣一緒の神仏習合だったわけで明確にどちらが先、とか言えませんという説明をしているところもあります。

ただ神社には写経という行為はないし、写経や読経の印が発祥としてはやっぱり寺院かなあと個人的には思います。

それがいつの間にか、江戸時代には幾らかのお布施や神社も初穂料を収めればいただけるようになり、今じゃすっかりスタンプラリーのご様子。

そんな状態を嫌い、中止して、スタンプを用意したりお断りをする寺社も増えてきているそうです。

以前築地本願寺のカフェを紹介した時にも触れましたが、

築地本願寺はキッパリお断りなんですよね。

記念スタンプは置いてますが、それをご朱印帳に押してる人もいて、ご朱印帳は旅の思い出スタンプ帳のようです。

 

神社庁のホームページには、

遠路をこえて叶った神社参拝。

敬神の思いの結晶ともいえる御朱印帳は、昔も今も、まるで参拝した時の感動を永久保存してくれるかのような掛替えのない存在といえましょう。

といった文言が書いてあり、御朱印推奨とも取れなくもない、

神社仏閣にお金を落としてくれるのだからそれは望ましいのかもしれないですけど、なんかしっくりとしないものを感じてしまいます。

 

守りたい最低限のマナー

今や市民権(?)を得ている御朱印、

批判するのも野暮というものでしょうが、最低限守ったほうがいいというマナーを書いておきます。

  1. 観光名所のスタンプと一緒に押さない。
  2. できれば神社と寺院、異なる宗派は分ける。相性が悪い神様もいるのでそれも分けたほうがベター。
  3. 書いてくれる方に文句は言わない。

特に三番は、せっかく御朱印もらって清々しい気分で帰ったほうが絶対ありがたみも増します。

それを「遅い」とか、ネットで見た字と違うとか、行列に腹立てたりって、すごく勿体無い。

行列だって、これだけ人が集まるところの御朱印もらえるってワクワク。

くらいで構えたほうが気が楽。

すごい下世話な例えだけれど、ディズニーランドのアトラクションを待っている時、そりゃ大変かもしれないけど、スタッフに文句言う人はほとんどいないし、

それと同じくらいに構えて並んでいられる、心の余裕を持って行かれたらいいですね。

令和初日の8時間待ち、とかはなかなかそんな気持ちになれなかったでしょうけれど、、
でも、あとで御朱印見て、あの時はこんなに嫌な気持ちだったとか思い出すよりは、
大変だったけどもらってよかったと思い出すほうが絶対いいと思うのです。

 

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